感謝 ただひたすらに感謝です
初夏の日差しが眩しい今日この頃です。
あの日から3ヶ月、私にはこんなに早く、もう一度「仕事」が出来る日が来ました。
気仙沼港には、もうすぐ初鰹の水揚げも始まるとの、うれしいニュースもあります。
こんな当たり前の事、普通の事に、心の底から「ありがとう」です。
この三ヶ月、慣れないヘドロとの格闘に何度も腰痛に苦しみ、私達の健康と先の見えない不安に怯えつつ「少しずつ一歩ずつ」の前進を信じ毎日を大切に歩んできました。
また多くのボランティアの皆様のご協力、お客様からの励ましのお言葉、ご注文には本当に力づけられました。まだまだ家、工場事務所の改装、倉庫の解体建て替え、庭の片付けや不足の染料補充、使用不能の道具の購入、型の作成補修等々準備しなければならないことがいっぱいありますが、ひとまず仕事だけは出来る環境が(電話、ファックスはまだ不通ですが)整いました。
携帯での通話は090-1061-6250で可能です。
また妻の実家にて返信には時間が掛かり、当分の間ご迷惑をお掛けしますが、メールの送受信も可能です。このホームページからの返信でお願いいたします。
周辺を見渡せば確かに「がれき」等の撤去は進んでおりますが、この先建設できる見通しは不明です。未だ行方の判らない人、仮設住宅にも入れずに避難所で不自由な暮らしを続けている人、時間が止まったままの人々もいっぱい居ます。立ち上がれるきっかけは皆それぞれ違います。戦いは始まったばかりです。当社のお得意様もほぼすべてが大きな被害を受けていますが、必ずいつの日か再建されるはずです。
その日が必ず来ることを信じて。
6月11日友引
やはりこの場所で仕事再開いたします。
今後とも宜しくお願いいたします。
※尚、この文章は業者様にお願いして掲載しております。返信は通電・電話開通しましたら必ずさせていただきます。
ご心配をお掛けしている皆様へ
この度の東日本大震災により被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
特に漁業関係者の方々の被害は、一日も早い復旧が待たれますが、現状では家、会社、家族、従業員、財産、船舶、養殖施設等々、多くを失い、避難先に暮らす生活から難航は必須です。又、海の現状も未知数です。
それでも1日も早い再開を信じます。災害後は会う人毎に一番大切な命をもらったと「おっ!生きてたか!!」が挨拶代わりになっています。弊社は世界でも有数三陸沖の漁場を有する気仙沼市北部鹿折地区に約150年前から、水清く、決して枯れることのない鹿折川と染屋川の合流点に位置し、この好立地条件にご先祖様に感謝感謝の気持ちでこの染色業を続けてこられました。これからもこの場で続けていきたい。この場所で続けるしかないというのが本音です。
今回3月11日のM9.0という未曾有の大震災でしたが、地震による建物の外見上の被害は少なかったのですが、約40分後に来襲した大津波は、建物の残骸、300t以上の漁船、油まみれのヘドロを伴い、想像を絶する被害、光景をもたらしました。「夢だろう!」というのが実感でした。
私達家族は幸い、地震直後に上流7km程の親族の家に避難し無事でしたが、工場、自宅共に1階天井近くまで浸水し、ほぼすべての工場設備、染色材料、家財を失わないまでも、油を含むヘドロが付着し廃棄処分です。
地震から1ヶ月。未だに余震が続き、不明者の捜索が続く中、何処から手をつけ、誰に相談すれば良いのか暗中模索状態です。
いつの日か、どんな形になるかわかりませんが、もしかしたら途中での断念も視野に入れつつ、我が手だけを頼りに一つ一つゆっくりと再開に向け、ただ体を動かしているというのが実態です。
大きなダメージを受けています我が家、我が工場も形は残っています。復興の足掛かりになるか、足かせになるかわかりません。全てを失った人がたくさんたくさんいます。前向きに考えていきたいです。
「ただひたすら前へ前へ」です。
まず電気、水道が欲しいです。
再開の目途が立ちましたらまた報告させていただきます。
感謝合掌
2011年4月20日
菊田染工場 菊田栄穂
※尚、この文章は業者様にお願いして掲載しております。返信は通電・電話開通しましたら必ずさせていただきます。
全て手染めの一品ものです
染め、洗い、乾燥の工程を全て手作業で行います。この世に二つとして同じものは存在しません。
150年の伝統を守ります
宮城県気仙沼に6代に渡って伝わる伝統を、頑なまでに守り続けています。